最近「閉塞感」という言葉を新聞・TV等でよく見かける。その度にちょっと不思議な気持ちになる。何故なら、今から10年前に「イタリアのことを知りたい」と2年間のイタリア留学に私を駆り立てたものは、まさに、この3文字だったからだ。それは会社という組織の中で十数年働き続けて疲弊していた一個人として感じていた閉塞感というだけでなく、日本を代表する世界的な企業で商品企画という仕事に携わっていたゆえに体感しえた「戦後50年の高度成長が頂点を極めたと同時に目標と方向性を失ったことによる閉塞感」であり、さらにはその根底にあった明治維新以後欧米に追いつけ、追い越せと猛スピードで近代化を急いだ日本社会の「100年を経て到達した転換期に於ける閉塞感」だった。
その三重の閉塞感の中に身を置きながら私は、今後を考える上でイタリアのような国がヒントを与えてくれるような気がしてならなかったのである。 ルネッサンスという言葉は「再生」を意味するという。一個人としては、私はまさにイタリアのお陰で「再生」できたと思っている。そういう意味でイタリアは私にとって第二の故郷といえる。半世紀を経た日本経済の閉塞感、また、1世紀を経た日本近代社会行き詰まりの閉塞感からの突破口を模索し21世紀の新しい日本像を探る上で、「アメリカ」的な考え方に偏りすぎてきた我々にとって、「イタリア」的な考え方を参考にすることは、時代の流れにあっていると感じている。 年頭にあたり、今回のコラムはちょっと真面目になってしまった。
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